2018年秋、世界最大の写真の祭典「パリ・フォト」で伝説の写真集が半世紀ぶりに甦った。写真家のまわりは黒山の人だかり。ていねいな文字で〝森山大道〟とサインする姿を、世界中から集まったファンが、熱いまなざしで見つめている。熱狂の列は途絶えることなく、人々は次々に押し寄せてくる。いったい何が起こっているのか──。
2018年春、森山のデビュー作『にっぽん劇場写真帖』復刊プロジェクトが始まった。1968年に誕生したこの写真集は、コレクターの間で高額で取引されるのみで、その全容が一般の目に触れることはほとんどない。あの傑作をもういちど出版したい。そう言い出したふたりの男がいる。ひとりは、継続的に森山の写真集を世に送り出してきた編集者・神林豊。もうひとりは、森山作品を含め、多くの写真集を手がける造本家・町口覚。敬愛する森山の処女作を決定版として世に送り出すべく、ふたりの奮闘がはじまる。
同じころ、東京で小さなカメラを構えるひとりの男がいる。彼は路地を抜け、脇道に分け入り、街の息遣いを次々に複写していく。その様子は都会を彷徨う野良犬を思わせる。
森山大道、80歳。オリンピックを前に激変していく東京の姿を、コンパクトカメラ1台で大胆に切り取っていく。ハンターのように。
これまでほとんど知られることのなかった森山のスナップワークを、映画はていねいに拾い上げていく。新宿、池袋、秋葉原、中野、渋谷、神保町、青山……。激変する東京で森山は何を見つめるのか。街と写真家はどう火花を散らし、いかに共鳴し合うのか。魔法のような傑作はどんなふうに生まれるのか。決定的瞬間とは何なのか。謎めいた写真家の素顔を、映画はすこしずつ解き明かしていく。
編集者と造本家は『にっぽん劇場写真帖』決定版制作に賭けていた。この膨大な写真群は、いつ、どこで、どのように撮られたのか──歴史的資料として後生に残そうと、事実関係に執着するふたり。一点一点、来歴を粘り強く確認し、執拗に問い質し、本人の記憶を解きほぐそうと試みる姿は、取り調べに挑む刑事さながら。その作業は、森山の人生におけるかけがえのない思い出、いまはもう会えなくなってしまった仲間の記憶、痛みや絶望、迷いと不安をあぶりだすとともに、それらを来たるべき希望へとつなげていく。
写真とは何か。生きるとは何か。これはひとりの写真家の彷徨の記録である。
森山さんは、どこにいても
どんなときでも森山さんだった。
森山さんがシャッターを切るたびに、
ぼくは背中をおされる。
もっともっともっと撮らねば。
そう思わせてくれる本作に感謝したい。
石川直樹 (写真家)
「森山大道」はとてつもなく特殊である、
ジワジワと、いつもそう思う。
すべてを受け入れ同時に
それらすべてをはね返してしまう、
そんな、徹底的に磨き込まれた反射鏡
といった存在のようにも思えてくる。
大竹伸朗 (画家) ※1
森山大道の写真には嘘も真実もない。
物語も記録もない。
そのすべてを孕む源流のような
記憶が焼き付いているだけに思える。
それはそのまま写真家の足跡でもある。
この映画もまた、森山大道をさすらう
岩間玄監督の足跡から生まれたのだろ
う。なんて愛情過剰に刺激的で面白い!
大森寿美男 (脚本家・映画監督)
森山は目の揺らぎ、
閃きを活かす達人だ。
「たどりつく」ことや「目的地」には
おかまいなしに、
「旅のなりゆき」に通じる直観の
小径をなぞってゆこうとする。
カール・ハイド (Underworld/Tomato) ※2
森山大道は日本を代表す
る写真家のひとりであり、
これまで膨大な数の写真集を
送りだしてきた。
その活動は多岐にわたる。
彼は路上でくりひろげられる信じがたい光景を記録するとともに、
光と影による抽象化という実験を
とおして、都市の営みを詩情豊かに
とらえてきたのである。
サイモン・ベイカー (ヨーロッパ写真美術館館長) ※3
深い深い黒く美しい写真には、
何よりも夢と心がある。
僕は、見えていないものばかりだ。
菅田将暉 (俳優)
写真集ができあがっていく
ベルトコンベアから、動物の鳴き声の
ような機械音が聞こえる。
写真から鳴き声がする。
ああ、そうか、動物なんだ、と思ったら、
あれこれ腑に落ちた。
武田砂鉄 (ライター)
「路上」を歩く森山大道、同じように鑑賞者も造本家も編集者も
森山大道という「路上」を歩くことになる。
そして光と影、存在と不在を発見し熱狂する
樽本樹廣 (「百年」店主)
ゆく街先でパシャッと撮るすがたに、そして話すことばに、
私がそれまでずっと森山さんに抱いていた
「近寄りがたい巨匠」というイメージが覆っていく。
津田淳子 (「デザインのひきだし」編集長)
私にとって大道さんの写真や言葉は
バイブル!
蜷川実花 (写真家) ※4
初めてカメラを手にした時、
何を撮っただろう。
あの時、街のすべてが、新鮮に見えた。
いつの間にか閉じていた心の目が
映画を通して、森山さんを通して、
ぐわっと開かれた時、ホロリときた。
華恵 (エッセイスト/ラジオパーソナリティ)
路上でカメラを向ければ「あの」森山大道にも、訝しげな視線は容赦なく注がれる。
「あの」なんて、知ったこっちゃないということだ。
半世紀以上も写真家が対峙してきた「現在」の生々しさと、何度も目が合った。
村井光男 (ナナロク社代表)
シネマサイズに拡大された森山大道作品の光陰を浴びるように見られる幸せ。
あの森山大道が監督の目(カメラ)と耳(マイク)に完全に身を委ねている。
監督の幸福と被写体の幸福が一致したシーンの連続だった。
矢野優 (「新潮」編集長)
森山大道ってスゴイデ!
なんでスゴイのかわけわからないけど
とにかくもうメチャクチャにスゴイデ!
最高や!
なんちゅうのか、こう、口には
いわれへんほどスゴイわ!
わかるやろ、このワイの気持ィ!
森山大道のこと悪うゆうたら、
もう承知せえへんゾ!
ドタマかち割って、手足ねじ曲げて、
知恵の輪みたいにグニャグニャにして、
頭からペンキぶっかけて、殺ッそ!
横尾忠則 (美術家) ※5
わたしは写真が大好きです。
この一本を観たらもっと好きになった。
そして森山大道さんの生き様に惚れた。
今日はどこの街で
写真を撮っていますか?
会いたい……。
LiLiCo (映画コメンテーター)
例えば、陋巷、蠢動、驟雨、逡巡、跋扈……。
そんな「読めるのに書けない」言葉が、
このドキュメンタリーを見ながらぐるぐるしていました。
それこそが僕にとっての森山大道さんの写真です。
渡辺祐 (編集者/ラジオパーソナリティー)